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はむらせき たまがわきょうだいぞう

羽村堰 玉川兄弟像

TEL 
羽村市玉川付近 
羽村堰 玉川兄弟像[1] 羽村堰 玉川兄弟像[2]

■羽村堰(はむらせき))

玉川上水の取水口。多摩川から上水に取り込む水の量を調節する役割を持つ。敷地内の公園には工事を指導した玉川兄弟の銅像が立ち、近くには上水管理のための陣屋門、水神を祭った玉川水神社などがある。また、周辺は水遊びのできる河原になっている。春になると素晴らしい桜が一帯に咲き誇る

■玉川兄弟像

昭和33年に建立された。徳川四代将軍家綱時代の承応2年(1653)、日ごとに人口の膨張を続ける江戸住民の飲料水を確保するために、幕府は庄右衛門、清右衛門兄弟を工事担当として羽村より四谷大木戸までの52劼梁膤削工事を命じた。兄弟は困難を克服して同年の4月4日から着手、11月15日に工事を完了した。

江戸に住む人々の生活用水として活用しようという計画が実行されたのは、徳川家康が幕府を開いて50年後の1653年。関東の片田舎だった江戸の地だが、幕府が開かれたことで大都市に変貌。その結果、江戸の市民たちは慢性的な水不足に悩まされていた。幕府から命を受けた多摩川庄右衛門、清右衛門兄弟が、羽村から四谷大木戸(新宿区/新宿御苑付近)までの約43キロにも及ぶ生活用水路・玉川上水を完成させた。

玉川兄弟については、東京の小学校では社会科の授業でも習うので知っている人も多いと思うが、こんな疑問を抱いていた人も多いのではないだろうか。「玉川兄弟って、もともと玉川姓を名乗っていたの?玉川兄弟が多摩川に堰を造って、玉川上水を完成させたなんて、出来過ぎた話じゃない?」。

ご存知のとおり、江戸時代に苗字を名乗ることを許されたのは武士階級だけ。玉川兄弟も、もともとは江戸の町人だったとも、多摩川沿いに住む農民だったとも伝えられているが、少なくとも武士ではなかった。「玉川姓」を名乗るようになったのは、玉川上水の工事が完成した後。幕府から、褒美として苗字帯刀を許されたのだ。つまり、工事の功を認められて武士になったということ。新選組が幕末の動乱の中、武をもって武士に昇り詰めたのに対して、彼らは文をもって武士になったのだ。


タチオンウォーキングより抜粋

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名 前 羽村堰 玉川兄弟像 はむらせき たまがわきょうだいぞう 
住 所 羽村市玉川付近 MAP
TEL   
FAX  
URL http://www.tachikawaonline.jp/walk/hamura.htm 
定休日  
営業時間  
交通案内 羽村駅より徒歩5〜10分 
その他  
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